焼き芋大学

YAKimo-SWEETSオーナーブログ。マーケティングやブランディングを自分なりに発信します。

伝えることに関しての意図と説明

こんばんは。

本日、だいぶと自分自身下降気味に走っているが、上を向いていきたいと考えている僕です。

 

うちの妹、よく人を攻める。

これでもかというくらいに、人を攻める。

良くない。僕の心のエネルギーが削られていく。

もう、違和感でしかない。

そんな人と一緒にいると、凄く何もかもが後手後手になり、自分の幸福度が下がる。

 

これは、本当良くない。

考えものだ。うちの両親が可哀想だ。本当に。

うちの両親は、出戻りの妹を受け入れた。

その理由としては、一人では子供二人も育てられないからだ。必ず虐待に走る!高確率で。

 

そんなかわいい孫たちのため、自らの身を削りながらも受け止めている。できた親だが、みると本当に何か解決策がないか、と考える。

だが、本当に違和感しかなく、

自分に甘く人に厳しい。

 

だからこそ、攻撃的になる(保身)

だからこそ、感情的になる(コントロールできない)

それは、まじまじと子供に伝わる。

本当に分かる。

愛はあるが、間違えた愛の形だ。

それでは、誰一人として幸せになれない。

 

何か起こることにたいし、あら探しをし、できていないところをネチネチと攻め立てる。

そして、自分の感情をスッキリさせる。

中学生低学年のマインドレベルだ。

できていないことにたいし、できることの提案が全くない。自分ができないからだ。

自分が率先して、教えずにどうして子供は育つ?

愚の骨頂のもほどがある。

 

きちんとした原因、現状の説明、これからの改善の提案を、親は示していかなければならないのに。

それができなければ、子供と一緒に考える。

とことん考える。

 

それができなければ、子育ては無理だと思う。

できることはできると思うが、やはり少し曲がった子に、育つような気がする。

どうしたら良いものか、少し考えてみます。

今のままだと、誰一人幸せになれない。